2006年11月
2006年11月30日
紅葉と落葉
今年の紅葉は暖かかったので、色づきが遅く、関西では先週あたりが見頃でしたが、週末に降った雨で紅葉が少しずつ散り始めています。僕の家の近くにも些細ですが、ほんのりと木に色づいた紅葉を楽しんでいましたけど、週末の雨で紅葉がかなり散ってしまいました。
←家の近くの落葉です。ところせましと敷き詰められています☆
木の上で色付いている時の紅葉もとてもきれいですが、こうして潔く散った後の落ち葉も僕の目を楽しませてくれます(この落ち葉の中にばしゃーんと飛び込みたいと思うのは僕だけでしょうか、笑)
それにこの落ち葉で焚き火をしてほくほくとした焼き芋を作ることもできますよね。紅葉は目を楽しませ、落葉してからはお芋と一緒に心も楽しませてくれますよね☆
今は落ち葉で焚き火して焼き芋を作るという光景は僕の周りではあまりみないのですが、この時期にいっぱいある落ち葉を使って、旬のお芋を食べるという日本の情緒あふれる組み合わせを考えて、秋の食の風景をつくってきたんだなぁと思います。
ところで、昔、僕は子供心にこのいっぱいの落ち葉はどこに消えてしまうのだろう?と思っていました。落ち葉というのはいつも知らない間にさっとどこかに消えていて不思議に思っていました。今になると学校にいっている間に近所の人や掃除のおばさん達がしっかりと集めてくれていたんだぁと思います。僕が学校にいっている間にいろいろな方が掃除をしてくれているんだなぁと感謝の気持ちも心に落ちるこの頃です。
←家の近くの落葉です。ところせましと敷き詰められています☆
木の上で色付いている時の紅葉もとてもきれいですが、こうして潔く散った後の落ち葉も僕の目を楽しませてくれます(この落ち葉の中にばしゃーんと飛び込みたいと思うのは僕だけでしょうか、笑)
それにこの落ち葉で焚き火をしてほくほくとした焼き芋を作ることもできますよね。紅葉は目を楽しませ、落葉してからはお芋と一緒に心も楽しませてくれますよね☆
今は落ち葉で焚き火して焼き芋を作るという光景は僕の周りではあまりみないのですが、この時期にいっぱいある落ち葉を使って、旬のお芋を食べるという日本の情緒あふれる組み合わせを考えて、秋の食の風景をつくってきたんだなぁと思います。
ところで、昔、僕は子供心にこのいっぱいの落ち葉はどこに消えてしまうのだろう?と思っていました。落ち葉というのはいつも知らない間にさっとどこかに消えていて不思議に思っていました。今になると学校にいっている間に近所の人や掃除のおばさん達がしっかりと集めてくれていたんだぁと思います。僕が学校にいっている間にいろいろな方が掃除をしてくれているんだなぁと感謝の気持ちも心に落ちるこの頃です。
2006年11月27日
150年前の観光ガイドブック
先日、参加させてもらった観光学関係の研究会で、九州大学の研究同志の方に150年前に書かれた広島の宮島の観光を紹介した観光ガイドブックを見せて頂きました。
←150年前、江戸末期に書かれた観光ガイドブックです。宮島で花見をする人々の画が描かれています☆
見せて頂いた方の専門は町並み保存や都市計画といった分野なので、このガイドブックに描かれている建物の部分を現代と比較して分析しておられました。僕の場合は食に興味があるので、例えば写真のような花見の画でしたら、どのようなものを花見の席で食べていたのかなぁと見てしまいます。楽しそうに花見をしている人、ごはんを食べている人、和気あいあいと談笑している様子など、すべて元が手書きですから(当時は元の手書きに版画で作っています)、詳細に所作を描写していました☆
150年前、こうしたガイドブックを片手に宮島に訪れた人々がいたんだなぁと思うと、時代が変わっても人の根本的な思いというのは変わらないものがあるなぁと思います。
当時の人はどんな感じで花見をしたり、名所を訪れていたりしたのかな☆
僕の場合、もし150年前に片上敏衛門みたいな名でいても、きっと、花より団子だったと思いますけど(笑)
←150年前、江戸末期に書かれた観光ガイドブックです。宮島で花見をする人々の画が描かれています☆
見せて頂いた方の専門は町並み保存や都市計画といった分野なので、このガイドブックに描かれている建物の部分を現代と比較して分析しておられました。僕の場合は食に興味があるので、例えば写真のような花見の画でしたら、どのようなものを花見の席で食べていたのかなぁと見てしまいます。楽しそうに花見をしている人、ごはんを食べている人、和気あいあいと談笑している様子など、すべて元が手書きですから(当時は元の手書きに版画で作っています)、詳細に所作を描写していました☆
150年前、こうしたガイドブックを片手に宮島に訪れた人々がいたんだなぁと思うと、時代が変わっても人の根本的な思いというのは変わらないものがあるなぁと思います。
当時の人はどんな感じで花見をしたり、名所を訪れていたりしたのかな☆
僕の場合、もし150年前に片上敏衛門みたいな名でいても、きっと、花より団子だったと思いますけど(笑)
2006年11月25日
ベトナム料理の香
本日は前々から知人におすすめされていた大阪、難波にあるベトナム料理のインドシナというお店に足を運んできました。東南アジアの料理はなかなか食べる機会がなかったので、楽しみにしていきました。さっ!食べるぞ!という感じでいろいろと頼んでみました☆
←まずはじめにきたのが、青パパイヤのサラダです。一瞬、パイナップルがパパイヤと思ってしまいましたが(笑)パパイヤは千切りにされていて、しゃくしゃく感と甘味、酸味を楽しめました☆
←海老のつみれライスペーパー包みです。海老のつみれにはコリアンダーが入っていて、その香りと海老の風味があっていてとても楽しめました☆
←スペアリブの甘酢和えです。その名の通りのお味で、砂糖がじゃりっとわかるぐらいでした(笑)
←レモングラス(レモンのような風味があるハーブ)で茹で有頭エビです。海老の食感がぷりっとしていてとてもよく、レモングラスの香りで海老臭さがなくて爽やかでした☆
←皿飯といって、ヌクマム(ニョクマムともいわれる魚を塩づけしてつくる魚醤です)で海老と豚肉を味付けして、タイ米の上にさっとのせて作ります。久しぶりにタイ米を食べましたが、味付けがごはんととてもあっていました☆
←フォー・ボーといって、牛肉で出汁をとった汁に米の麺を入れて食べます。八角(トウシキミという実を乾燥させたもの)もはいって、とても香りが際立っていました☆
このような感じでいろいろと食べました。どの料理もとても美味しくて堪能させて頂きました☆特にいろいろな香辛料がふんだんに使って、香りを楽しむことができたなぁと思います。
ところでこのベトナム料理を食べていて思ったのですが、ベトナム料理は(というよりも東南アジア地域においてはといってもいいかもしれませんが)同じ料理でも日本料理とは違って、素材にいろいろと綺麗な衣装を着せて、味をつくっているなぁと思いました。
顕著なのが、香辛料を使って香りを楽しむということが料理の中によく表れているなぁということです。おそらく、日本で提供するベトナム料理ですから、本場よりは香りづかいを日本人好みに抑えているとは思いますが、それでも香りの協奏曲のようなものを楽しめたベトナム料理でした☆
ちなみに帰ってから僕は日本の香りを楽しむために味噌汁とごはんを食べました(笑)
←まずはじめにきたのが、青パパイヤのサラダです。一瞬、パイナップルがパパイヤと思ってしまいましたが(笑)パパイヤは千切りにされていて、しゃくしゃく感と甘味、酸味を楽しめました☆
←海老のつみれライスペーパー包みです。海老のつみれにはコリアンダーが入っていて、その香りと海老の風味があっていてとても楽しめました☆
←スペアリブの甘酢和えです。その名の通りのお味で、砂糖がじゃりっとわかるぐらいでした(笑)
←レモングラス(レモンのような風味があるハーブ)で茹で有頭エビです。海老の食感がぷりっとしていてとてもよく、レモングラスの香りで海老臭さがなくて爽やかでした☆
←皿飯といって、ヌクマム(ニョクマムともいわれる魚を塩づけしてつくる魚醤です)で海老と豚肉を味付けして、タイ米の上にさっとのせて作ります。久しぶりにタイ米を食べましたが、味付けがごはんととてもあっていました☆
←フォー・ボーといって、牛肉で出汁をとった汁に米の麺を入れて食べます。八角(トウシキミという実を乾燥させたもの)もはいって、とても香りが際立っていました☆
このような感じでいろいろと食べました。どの料理もとても美味しくて堪能させて頂きました☆特にいろいろな香辛料がふんだんに使って、香りを楽しむことができたなぁと思います。
ところでこのベトナム料理を食べていて思ったのですが、ベトナム料理は(というよりも東南アジア地域においてはといってもいいかもしれませんが)同じ料理でも日本料理とは違って、素材にいろいろと綺麗な衣装を着せて、味をつくっているなぁと思いました。
顕著なのが、香辛料を使って香りを楽しむということが料理の中によく表れているなぁということです。おそらく、日本で提供するベトナム料理ですから、本場よりは香りづかいを日本人好みに抑えているとは思いますが、それでも香りの協奏曲のようなものを楽しめたベトナム料理でした☆
ちなみに帰ってから僕は日本の香りを楽しむために味噌汁とごはんを食べました(笑)
2006年11月24日
2006年11月21日
紅玉のやさしさ
僕は果物が好きで最近は一日になにか一つの果物を食べています。そんな中、先日、久しぶりに紅玉を買いました。
←紅玉です。紅玉の歴史は古くて、明治時代にアメリカから入ってきて、一番最初に日本に広く根付いた品種の一つといわれています。
紅玉はそのまま食べてもとても美味しいのですが、酸味がある方なので熱を加えて、ジャムやアップルパイ、また皮を水で煮出してその煮出した水で紅茶をいれると、とても美味しいアップルティーも作れます。最近は「ふじ」、「ジョナゴールド」、「王林」といった有名どころのりんごを食べてばかりだったので、久しぶりに紅玉を食べました。
そんなふうに食べていると、ふと紅玉は他のりんごと違ってあたたかいなぁということを感じました。もちろん、りんご自身があたたかいというわけではないのですが(笑)紅玉は手に持った感触のあたりが他のりんごよりやわらかいなぁと思ったのです。
一般に酸味が強いといわれている紅玉ですから、もっと硬いイメージがったのですが、よくよく手で感じてみると、あたりのやさしさが一際あるように思いました。
僕はこのあたりを感じて、紅玉はとても日本らしいりんごやなぁと思い、ふと、日本女性の優しさを連想しました。
紅玉は決して大きなりんごではないですが、あたりがやさしく甘みもあるけど、しっかりとした酸味(日本酒やワインでいえば酸味というのは、骨格をささえるボディみたいなもので、味の「芯」となります)もあり、そこに熱を通すと、奥行きもひろがります。
紅玉のあたりのやさしさは「柔らかな物腰」、しっかりとした酸味は「芯の強さ」を表している感じがしました。そしてそれは日本人の女性がもっているあたたかくてとても素晴らしいところと似ているなぁと思いました。日本に一番最初に根付いた紅玉には、何か日本らしさがあるのかなぁと思った秋のりんごな一日でした☆
←紅玉です。紅玉の歴史は古くて、明治時代にアメリカから入ってきて、一番最初に日本に広く根付いた品種の一つといわれています。
紅玉はそのまま食べてもとても美味しいのですが、酸味がある方なので熱を加えて、ジャムやアップルパイ、また皮を水で煮出してその煮出した水で紅茶をいれると、とても美味しいアップルティーも作れます。最近は「ふじ」、「ジョナゴールド」、「王林」といった有名どころのりんごを食べてばかりだったので、久しぶりに紅玉を食べました。
そんなふうに食べていると、ふと紅玉は他のりんごと違ってあたたかいなぁということを感じました。もちろん、りんご自身があたたかいというわけではないのですが(笑)紅玉は手に持った感触のあたりが他のりんごよりやわらかいなぁと思ったのです。
一般に酸味が強いといわれている紅玉ですから、もっと硬いイメージがったのですが、よくよく手で感じてみると、あたりのやさしさが一際あるように思いました。
僕はこのあたりを感じて、紅玉はとても日本らしいりんごやなぁと思い、ふと、日本女性の優しさを連想しました。
紅玉は決して大きなりんごではないですが、あたりがやさしく甘みもあるけど、しっかりとした酸味(日本酒やワインでいえば酸味というのは、骨格をささえるボディみたいなもので、味の「芯」となります)もあり、そこに熱を通すと、奥行きもひろがります。
紅玉のあたりのやさしさは「柔らかな物腰」、しっかりとした酸味は「芯の強さ」を表している感じがしました。そしてそれは日本人の女性がもっているあたたかくてとても素晴らしいところと似ているなぁと思いました。日本に一番最初に根付いた紅玉には、何か日本らしさがあるのかなぁと思った秋のりんごな一日でした☆
2006年11月17日
真鰯
秋の中頃(といってももう冬に近いですね)、最近はよく青魚を食べる機会に恵まれ、美味しい日本酒の組み合わせで晩ご飯を楽しんだりしています。そんな中、鰯の煮物を作りました。
←マイワシの煮物です。しょうがを利かせて、本みりんと純米酒と奈良醤油とで煮込んで作りました☆
自らでいうのもなんですが、これがまた美味しいのなんの(笑)
この小さな身体のどこにこんな旨みをもっているんだというばかりに脂ものっていて、それがまた偶然にもうまいこと組み合わさった調味料の相乗効果でさらに引き立っていました。
ちなみに真鰯は体長が20cmぐらいと小柄な身体ですが、最長で7年近く生きるといいます。小さな身体に秘められためいっぱいの美味しさに自画自賛の晩ご飯でした(笑)
←マイワシの煮物です。しょうがを利かせて、本みりんと純米酒と奈良醤油とで煮込んで作りました☆
自らでいうのもなんですが、これがまた美味しいのなんの(笑)
この小さな身体のどこにこんな旨みをもっているんだというばかりに脂ものっていて、それがまた偶然にもうまいこと組み合わさった調味料の相乗効果でさらに引き立っていました。
ちなみに真鰯は体長が20cmぐらいと小柄な身体ですが、最長で7年近く生きるといいます。小さな身体に秘められためいっぱいの美味しさに自画自賛の晩ご飯でした(笑)
2006年11月14日
陽光と紅葉
今日は休みで一日のんびりと論文を書いていました(のんびりと書くなよという感じですが、笑)
←ふと、横に目をやると置いていたノートに光が差し込んでいました。綺麗だったので思わず撮ってしまいました☆
←そしてベランダから外をみると紅葉が綺麗に色づいていました。ここ数日の寒さで一気に色づいてきた感じです☆
←そんな陽光と紅葉に華を添えるべく、珈琲と紅イモ(九州に旅行に行かれた方から頂いたサツマイモの原種ともいえるお芋です)の干し芋を用意しました(その実は単に食べたいだけですけど、笑)
干し芋にはお茶の方があうのですが、あえて書いている論文内容と同じくチャレンジングに行きました(ほんまかいな、笑)
さっ11月末を完成期日に毎日コツコツかんばろう☆
←ふと、横に目をやると置いていたノートに光が差し込んでいました。綺麗だったので思わず撮ってしまいました☆
←そしてベランダから外をみると紅葉が綺麗に色づいていました。ここ数日の寒さで一気に色づいてきた感じです☆
←そんな陽光と紅葉に華を添えるべく、珈琲と紅イモ(九州に旅行に行かれた方から頂いたサツマイモの原種ともいえるお芋です)の干し芋を用意しました(その実は単に食べたいだけですけど、笑)
干し芋にはお茶の方があうのですが、あえて書いている論文内容と同じくチャレンジングに行きました(ほんまかいな、笑)
さっ11月末を完成期日に毎日コツコツかんばろう☆
2006年11月12日
奈良県民として想うこと−正倉院展と奈良観光−
先日、第58回正倉院展にいってきました。毎年10月末から11月中頃ぐらいまでかけて行われる奈良の一大イベントです。
この正倉院展は、正倉院という蔵に収められている約9000点ものの宝物、聖武天皇の遺愛品や東大寺の文書・寺宝などのほかペルシアおよびアジア各地の遺品などを毎年テーマをもって展示しているものです。今年のテーマは聖武天皇関連のものでした。
その中でいろいろと見たのですが、特に関心した一品のひとつに、「緑瑠璃十二曲長坏(みどりるりのじゅうにきょくちょうはい)」という杯がありました。
見た瞬間は誤解を恐れずにいえば、100円ショップに売っているような器だと思いました(笑)
けど、それ以上に今現在の技術で作れるものを千年以上前に作って、綺麗に現存しているということにとても驚き、印象深く感じました。
ところで、僕が正倉院展に行ったのは午後の3時半ぐらいでしたが、その時間でもかなりの人が正倉院展を見るために並んでいました。去年はこんなにも人がいたかなぁというぐらいの来客数です。どうやら年々来客数が増えてきているように思えます。
そのような中、正倉院展が開催している奈良国立博物館の地下にミュージアムショップや喫茶スペースがあるので、そこで、正倉院展記念饅頭というものを買いました。
←正倉院展記念お土産のお饅頭です。
←5個入りで入っています。
しかしながら、このお饅頭がちょっと…
まず見た目も不自然で、6個入るのになんで5個入りなんだろうと素朴な疑問があります。そして食べてみると、とてもお饅頭とは思えない味で、外皮は硬く、まるで蒸し器で蒸す前のあんまんという感じです(苦笑)
今回の正倉院展は僕の尊敬する方と一緒に行っていたのですが、その方も(というようりもその方のほうが、笑)憤慨していました。
そしてその方とも話していたのですが、こういったお饅頭一つに今の奈良の観光の現状があるなぁということが見出せたりします。
というのも、正倉院展には毎年数多くの人が来ます。ほんとにこの時期、奈良国立博物館をはじめとした周りの寺社仏閣は盛況です。しかしながら、この時期を過ぎると閑古鳥が鳴いていることが多いのです。奈良県は観光立県としていろいろと政策を打ち出していますが、観光立県として本当に人が来てほしいのなら、こういう大きなイベントの時こそ、しっかりと奈良に来てくれた人の心をつかむことが大事なんじゃないかなぁと思うのです。
来てくれた人の心を暖めるおもてなしの心のようなものは、大きなものからではなく、何気ないお饅頭の味などに僕は込められているように思うのです。例え、正倉院展でみた宝物の名を忘れようとも(僕を筆頭に、苦笑)、お土産で買ったお饅頭の味がよければ、心にぽっとあったかい灯がともると思うのです。そして、それが、「またいきたいなぁ」ということにつながるのではないかなぁと思うのです。
人がいっぱいくるから作ったら売れるみたいなことではなくて、難しいかもしれませんが、ひとつひとつに心を砕いて、しっかりとしたものを魅せることができれば、年間を通じてもっと人が楽しんで来てもらえるのになぁと、おまんじゅう一つに奈良の観光客入りの強弱の原因を見た気がした正倉院展でした。
がんばろ☆
この正倉院展は、正倉院という蔵に収められている約9000点ものの宝物、聖武天皇の遺愛品や東大寺の文書・寺宝などのほかペルシアおよびアジア各地の遺品などを毎年テーマをもって展示しているものです。今年のテーマは聖武天皇関連のものでした。
その中でいろいろと見たのですが、特に関心した一品のひとつに、「緑瑠璃十二曲長坏(みどりるりのじゅうにきょくちょうはい)」という杯がありました。
見た瞬間は誤解を恐れずにいえば、100円ショップに売っているような器だと思いました(笑)
けど、それ以上に今現在の技術で作れるものを千年以上前に作って、綺麗に現存しているということにとても驚き、印象深く感じました。
ところで、僕が正倉院展に行ったのは午後の3時半ぐらいでしたが、その時間でもかなりの人が正倉院展を見るために並んでいました。去年はこんなにも人がいたかなぁというぐらいの来客数です。どうやら年々来客数が増えてきているように思えます。
そのような中、正倉院展が開催している奈良国立博物館の地下にミュージアムショップや喫茶スペースがあるので、そこで、正倉院展記念饅頭というものを買いました。
←正倉院展記念お土産のお饅頭です。
←5個入りで入っています。
しかしながら、このお饅頭がちょっと…
まず見た目も不自然で、6個入るのになんで5個入りなんだろうと素朴な疑問があります。そして食べてみると、とてもお饅頭とは思えない味で、外皮は硬く、まるで蒸し器で蒸す前のあんまんという感じです(苦笑)
今回の正倉院展は僕の尊敬する方と一緒に行っていたのですが、その方も(というようりもその方のほうが、笑)憤慨していました。
そしてその方とも話していたのですが、こういったお饅頭一つに今の奈良の観光の現状があるなぁということが見出せたりします。
というのも、正倉院展には毎年数多くの人が来ます。ほんとにこの時期、奈良国立博物館をはじめとした周りの寺社仏閣は盛況です。しかしながら、この時期を過ぎると閑古鳥が鳴いていることが多いのです。奈良県は観光立県としていろいろと政策を打ち出していますが、観光立県として本当に人が来てほしいのなら、こういう大きなイベントの時こそ、しっかりと奈良に来てくれた人の心をつかむことが大事なんじゃないかなぁと思うのです。
来てくれた人の心を暖めるおもてなしの心のようなものは、大きなものからではなく、何気ないお饅頭の味などに僕は込められているように思うのです。例え、正倉院展でみた宝物の名を忘れようとも(僕を筆頭に、苦笑)、お土産で買ったお饅頭の味がよければ、心にぽっとあったかい灯がともると思うのです。そして、それが、「またいきたいなぁ」ということにつながるのではないかなぁと思うのです。
人がいっぱいくるから作ったら売れるみたいなことではなくて、難しいかもしれませんが、ひとつひとつに心を砕いて、しっかりとしたものを魅せることができれば、年間を通じてもっと人が楽しんで来てもらえるのになぁと、おまんじゅう一つに奈良の観光客入りの強弱の原因を見た気がした正倉院展でした。
がんばろ☆
2006年11月11日
2006年11月08日
玉子焼き
今日の夜、一番下の弟が明日仕事にもっていくお弁当を作っている時に「お兄、玉子焼き食べる?」といって、明日のお弁当に作ってあまった玉子焼きをくれました(最近、弟はお昼ご飯に自分のお弁当を自分でしっかりと作ってもっていっているので、やるなぁと思っています。完全に兄バカですが、笑)
その玉子焼きを食べて驚いたのが、弟の玉子焼きの味が母の玉子焼きの味にとても似ていたことです。もちろん、弟は直に母から料理の特訓などを受けたことはありません。けど、その玉子焼きの味はとてもそっくりだったのです。
ずっと母の玉子焼きを食べて育った僕たち兄弟ですから当たり前といえば当たり前からもしれませんが、こうしたふと伝わってゆくものを感じてとても嬉しい気持ちになりました☆
その玉子焼きを食べて驚いたのが、弟の玉子焼きの味が母の玉子焼きの味にとても似ていたことです。もちろん、弟は直に母から料理の特訓などを受けたことはありません。けど、その玉子焼きの味はとてもそっくりだったのです。
ずっと母の玉子焼きを食べて育った僕たち兄弟ですから当たり前といえば当たり前からもしれませんが、こうしたふと伝わってゆくものを感じてとても嬉しい気持ちになりました☆
2006年11月06日
母の弁当
今日は一日仕事だったので、お弁当を朝から作ってもっていこうと思ったらすでにお弁当が出来上がっていました。母が作ってくれていたのです。
←玉子焼き、かぶらの煮物、インゲンの甘和え、しいたけと切干大根を煮たもの、おからの寒天固め人参入り、ごはんは壬生菜の漬物を上にちらしたものといったラインナップです。
母には中学高校とお昼ご飯はお弁当だったので、6年間ほんと毎日毎日作ってもらっていました。しかも僕は兄弟が四人いますので、母はかなりの永きに渡ってお弁当を僕たち兄弟に作ってくていました。さすがに卒業してから甘てはいかんと自分で作っていましたけど、久しぶりに食べた母のお弁当は、美味しさと懐かしさとお弁当を毎日作り続けてくれた優しさを感じました。
母の作るお弁当の味はきっと同じなのに、今、感じ方が違うのは多少なりとも成長しているのかなぁと思えた心に美味しき感謝のお昼ご飯でした☆
←玉子焼き、かぶらの煮物、インゲンの甘和え、しいたけと切干大根を煮たもの、おからの寒天固め人参入り、ごはんは壬生菜の漬物を上にちらしたものといったラインナップです。
母には中学高校とお昼ご飯はお弁当だったので、6年間ほんと毎日毎日作ってもらっていました。しかも僕は兄弟が四人いますので、母はかなりの永きに渡ってお弁当を僕たち兄弟に作ってくていました。さすがに卒業してから甘てはいかんと自分で作っていましたけど、久しぶりに食べた母のお弁当は、美味しさと懐かしさとお弁当を毎日作り続けてくれた優しさを感じました。
母の作るお弁当の味はきっと同じなのに、今、感じ方が違うのは多少なりとも成長しているのかなぁと思えた心に美味しき感謝のお昼ご飯でした☆
2006年11月03日
郡上八幡、水の午後
そばとごはんを食べてからは、山頂にある郡上八幡城に行ってきました。
←快晴の秋空をバックに悠然としています。
←僕も悠然としてみました(やたらと光っています、笑)
お城を見た後は、のんびりと町中を散策しました。天気もよくてのんびりと散策するには絶好の日和でした。郡上八幡博物館で郡上八幡の歴史をみたり、のんびりと町中を流れる川をみたり、
←ちょっと良い感じの喫茶店にはいって、
←郡上八幡の水でいれたコーヒーとアップルパイを食べたりしました(コーヒーはとても美味しかったです☆)
そんな風にしてゆっくりと散策したり、食べたり(笑)していると庄村米穀店という看板に目がとまりお邪魔しました。この地方で育まれてきた在来のアワ・ヒエや栃の実などを使って、雑穀そのもや、加工してお餅したものなどを販売しているお店です。店内には、粟、黍、稗といった雑穀類がところせましとおいてあります。
いろいろと店内を見ていると、お店の方が声をかけてくれて、いろいろと雑穀のお話をきかせてもらいました☆
そのお話の中で、郡上八幡をはじめとした周辺の地域は、その面積のほとんどが山林です。そのため半世紀前までは、地元で食べる米麦を地元で生産することができない状態だったということを聞きました。
←そのような地域で作り続けてきた在来の雑穀「シコクビエ」です。昭和20から30年代にかけて、飢えをしのぐためにもっとも作られていたというお話を聞きました。そのシコクビエの種を農家の方から受け継いで作っているといいます。食べ方は、粉にひいて、お湯でとかしてそばがきのようにして食べます。
←こちらは「ねこあわ」という品種の粟です。その名のと通り、足が猫のようになっているからねこあわといいます。かわいらしい粟です☆
現在の主食はお米ですが、こうした山間地の食をずっと支えてきたのは、これらの雑穀なんだなぁと改めてこの地域の食にふれたような気がしました。
そして、郡上八幡に訪れて一番感じたことは、郡上八幡は郡上八幡「家」という一つの家やなぁと感じたことです。
というのも、今回、郡上八幡でいろいろな方々とお話させてもらいましたが、みなさん、過度の客人扱いをせず、とても自然に接してくれました。そう、まるで実家に帰省した息子のように(笑)さりげなく、けど、暖かく接してくれました。はじめて来たにもかかわらず、まるで、郡上八幡に住んでいる同じ住民のような感じで、です。
郡上八幡の素晴らしいところはいろいろとありますが、僕はこういった壁を作らない自然なおもてなしができるところに郡上八幡の素晴らしさを感じました。
決して派手さがあるわけではないですが、毎日を過ごしていく上でとても大事なもの、そう、毎日食べれてしかも栄養価が高い雑穀のような実質本位で自然な町だと感じました☆
←ふと夕暮れの吉田川が目に飛び込んできました。また訪れたいと思います☆
←快晴の秋空をバックに悠然としています。
←僕も悠然としてみました(やたらと光っています、笑)
お城を見た後は、のんびりと町中を散策しました。天気もよくてのんびりと散策するには絶好の日和でした。郡上八幡博物館で郡上八幡の歴史をみたり、のんびりと町中を流れる川をみたり、
←ちょっと良い感じの喫茶店にはいって、
←郡上八幡の水でいれたコーヒーとアップルパイを食べたりしました(コーヒーはとても美味しかったです☆)
そんな風にしてゆっくりと散策したり、食べたり(笑)していると庄村米穀店という看板に目がとまりお邪魔しました。この地方で育まれてきた在来のアワ・ヒエや栃の実などを使って、雑穀そのもや、加工してお餅したものなどを販売しているお店です。店内には、粟、黍、稗といった雑穀類がところせましとおいてあります。
いろいろと店内を見ていると、お店の方が声をかけてくれて、いろいろと雑穀のお話をきかせてもらいました☆
そのお話の中で、郡上八幡をはじめとした周辺の地域は、その面積のほとんどが山林です。そのため半世紀前までは、地元で食べる米麦を地元で生産することができない状態だったということを聞きました。
←そのような地域で作り続けてきた在来の雑穀「シコクビエ」です。昭和20から30年代にかけて、飢えをしのぐためにもっとも作られていたというお話を聞きました。そのシコクビエの種を農家の方から受け継いで作っているといいます。食べ方は、粉にひいて、お湯でとかしてそばがきのようにして食べます。
←こちらは「ねこあわ」という品種の粟です。その名のと通り、足が猫のようになっているからねこあわといいます。かわいらしい粟です☆
現在の主食はお米ですが、こうした山間地の食をずっと支えてきたのは、これらの雑穀なんだなぁと改めてこの地域の食にふれたような気がしました。
そして、郡上八幡に訪れて一番感じたことは、郡上八幡は郡上八幡「家」という一つの家やなぁと感じたことです。
というのも、今回、郡上八幡でいろいろな方々とお話させてもらいましたが、みなさん、過度の客人扱いをせず、とても自然に接してくれました。そう、まるで実家に帰省した息子のように(笑)さりげなく、けど、暖かく接してくれました。はじめて来たにもかかわらず、まるで、郡上八幡に住んでいる同じ住民のような感じで、です。
郡上八幡の素晴らしいところはいろいろとありますが、僕はこういった壁を作らない自然なおもてなしができるところに郡上八幡の素晴らしさを感じました。
決して派手さがあるわけではないですが、毎日を過ごしていく上でとても大事なもの、そう、毎日食べれてしかも栄養価が高い雑穀のような実質本位で自然な町だと感じました☆
←ふと夕暮れの吉田川が目に飛び込んできました。また訪れたいと思います☆
2006年11月01日
郡上八幡、水の午前
先日、岐阜大学地域政策学部が行っている食文化の研究会に参加しにいきました。岐阜県内の食文化を活用した地域活性化政策を事例にいろいろと聞かせて頂いて、有意義な時間を過ごしました。そして、その研究会後にかねてから行ってみたかった水の町で有名な(「巧妙が辻」の千代の故郷としても有名です)岐阜県の郡上八幡にいってきました。
しかし!この岐阜駅に到着するまで一騒動ありました。当日の朝、京都から新幹線で向かう予定だったのですが、なんと、事故で不通に…。遅れるわけにはいかなかったので、急遽、在来線で岐阜まで向かいました。けど、これがまた、のんびりとしいてよかったのです☆
京都からJR琵琶湖線にのって、ゆっくりと滋賀の田園風景を眺めながら(なつかしの通学路です)、滋賀県の米原駅に到着。そこから、まるまる 線にのって、岐阜に向かうと、列車にはもうほとんど人がいなくて、貸しきり状態でした☆
←ゆっくりと山間を走ります。窓の外を見ると畑を耕している方々も見えたりして、この地域での生活を感じました。また途中で乗ってきたお子さん連れのお母さんが、お子さんとやさしい会話をしていたりして、かわいく思いました☆
こうした出会いというのは、新幹線に乗っていたらなかったのだろうなぁと思い、また、逆もしかりだと思うと不思議で厳粛な気持ちになりました。
←そして、岐阜駅に到着。岐阜駅からは、長良川鉄道にのって、郡上八幡駅にいきます。
←郡上八幡駅です。有名な郡上踊りで有名な町も、この時期は、のんびりとしているねんと駅さんがいっているようでした(なぜか関西弁で、笑)
郡上八幡は、周囲が山にぐるっと囲まれている地域で、その山から流れる水によって、潤いをもっている町です。
←山に守られている町です☆
←そして、その山が作り出した水によって、町の中にはこのように至るところに用水路があり、さらさらと流れています。
←ちょっと早めの昼ごはんです。親子丼とかけそばを頂きました。親子丼のごはんが水の力でとてもおいしく、ピカピカしていました☆そばは思いっきり、手作り感があります☆
しかし!この岐阜駅に到着するまで一騒動ありました。当日の朝、京都から新幹線で向かう予定だったのですが、なんと、事故で不通に…。遅れるわけにはいかなかったので、急遽、在来線で岐阜まで向かいました。けど、これがまた、のんびりとしいてよかったのです☆
京都からJR琵琶湖線にのって、ゆっくりと滋賀の田園風景を眺めながら(なつかしの通学路です)、滋賀県の米原駅に到着。そこから、まるまる 線にのって、岐阜に向かうと、列車にはもうほとんど人がいなくて、貸しきり状態でした☆
←ゆっくりと山間を走ります。窓の外を見ると畑を耕している方々も見えたりして、この地域での生活を感じました。また途中で乗ってきたお子さん連れのお母さんが、お子さんとやさしい会話をしていたりして、かわいく思いました☆
こうした出会いというのは、新幹線に乗っていたらなかったのだろうなぁと思い、また、逆もしかりだと思うと不思議で厳粛な気持ちになりました。
←そして、岐阜駅に到着。岐阜駅からは、長良川鉄道にのって、郡上八幡駅にいきます。
←郡上八幡駅です。有名な郡上踊りで有名な町も、この時期は、のんびりとしているねんと駅さんがいっているようでした(なぜか関西弁で、笑)
郡上八幡は、周囲が山にぐるっと囲まれている地域で、その山から流れる水によって、潤いをもっている町です。
←山に守られている町です☆
←そして、その山が作り出した水によって、町の中にはこのように至るところに用水路があり、さらさらと流れています。
←ちょっと早めの昼ごはんです。親子丼とかけそばを頂きました。親子丼のごはんが水の力でとてもおいしく、ピカピカしていました☆そばは思いっきり、手作り感があります☆